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「呪われた部分」… 人間の喜びは、「蕩尽」 ※メモ
Q. 人間の生きる喜びはなんですか?
A. 一つの観方、先人の視点が
人により無縁無価値であり、人により多大で深淵な生きるヒントになるよう。
「呪われた部分」
ジョルジュ バタイユ著 フランス思想家
“ 人間の喜びは生産や貯蓄ではなく「蕩尽」、
つまり財産やエネルギーを使い尽くすことにある “ と説いています。
これを、個人・家族・組織・地域・国家、、の一つのモノサシにしたり、
実体験値から、鶏が先か卵が先か的に試行錯誤と仮説検証していくと、、
政界 経界 官界 行界 学界 医界 士界 芸界 、、の達観者又は
一般人をみても、、、本質・実態・最期は「蕩尽」している。
これらの人々が関わるあらゆる環境・業界・立場に当てはまる
実学問古典。
良縁ある方々にも触れ、、
このバタイユの 古き 色褪せない真理のメッセージは、
いかなる環境でも、実生活に効かすあり方とやり方を成就すれば、
人生は縦横無尽に謳歌できると確信した。
「人選十三項」の区分で観ても、語らずも 法則の一つとして自然と活用されている。
https://genjo.info/blog/098
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レビュー)
バタイユは、
これまでの経済学が地域や国家の内側に限られたものであったことを指摘し、
新たに世界レベルの視野を持つ「普遍経済」を立ち上げる。
そして、世界レベルで見れば、
常に生産されたエネルギーは必要量を上回っているため、余剰が存在するという。
そのためバタイユは、これまでの経済学の生産・蓄積・有効な消費、
というサイクルでは見落とされていた、非生産的な消費が非常に重要なのだとする。
この、非生産的消費、が「蕩尽」である。
非生産的消費を忌避する西洋的発想がいかに特殊化を示すべく、
世界各地のさまざまな民族を調べる。
例えば、ポトラッチや大々的な破壊、
さらにはヴェーバーの理論の依拠しての西洋での非生産的消費が排除されていく動き、
など。
そして、余剰エネルギーが大量に出てしまうと、
最終的に「戦争」という形でそれが消費されてしまう。
そのため、彼は余剰エネルギーに対して、
ほとんど無償供与であるマーシャルプランの実行を支持し、
さらにインドへの無償供与をすべきだと主張する。
これまでの経済学を完全にひっくり返して
それでいて的を射た記述も多い。
蕩尽をテーマとした 哲学的経済書。
人間の所作は それが哲学にせよ 経済にせよ 遊びにせよ 性にせよ
人間自身が決断し 行っているという点では 同じであり 従い
ある意味では同じ分析手法で
それらに迫ることが可能であるということをひしひしと感じさせる。
ある意味で絶句する。これらを一人の人が書いたとは。
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世界人口80億人の主観と環境、生活がある
正義という定義と答えもその数だけあるよう
まずは伝わる方と 伝えたい方へ